三島由紀夫 毎日新聞のネット記事に、三島由紀夫が米滞在中の江藤淳に送った書簡5通が新たに見つかったというニュースが載っている
http://www.mainichi-msn.co.jp/photo/news/20060317k0000m040135000c.html

●それによると、江藤は当時、プリンストン大におり、三島が小説「美しい星」の英訳刊行に助力してほしいと依頼する内容だという


この頃、三島はノーベル賞を意識し始めており、この英訳を強く望んでいたらしいが、結局、実現しなかったという


書簡では、三島は江藤を「愛国者」、江藤は三島を「同志」と呼び合うなど、二人の親密さがうかがえる


その後、三島は江藤を罵倒する手紙を漢学者の安岡正篤あてに送っているといい、英訳が実現しなかったことで江藤に失望したのかもしれない


●私が注目したのは、書簡の中で三島が、ケネディ大統領暗殺について「かういふ風に人生の絶頂で死んだケネディは、政治家として実に幸福な男だと思ひます」と書いていたという点


記事には「自身の壮絶な死を予言しているかのようだ」とあり、佐藤秀明・近畿大教授の「ケネディには完全に自己投影している」という論評を紹介している


ケネディ暗殺は昭和38年(1963年)11月22日、この書簡は翌23日付けというから、三島にとっても衝撃的な事件であったに違いない


三島が市ヶ谷に乱入し、壮絶な死を遂げたのはことは、それから12年後の同じ11月の25日だから、偶然とはいえ、不思議な歴史の糸を感じる


※三島の写真は下記サイトより引用させていただきました
http://tawagotomeruhen.cocolog-nifty.com/mekakusi/cat3751611/

清張作品集「断崖」 ●「濁った陽


作品の冒頭部分、清張はこう書く
汚職事件が起こると、課長補佐クラスの中堅役人が、いつも、その犠牲者になる
「犠牲」というのは「死」であり、「自殺」である


清張は、こうした自殺は「精神的な他殺」であると断言する
「検事の峻烈な取調べで精神状態が動揺しているところへ、上司から、保身にのための苛烈な追及を受けるので、実直な者ほど自殺に追い込まれやすい」


で、この作品もそうした精神的に追い込ませて自殺させる、というストーリーなのかと思ったが、そうではなかった
清張は「自殺に見せかけた殺人」を描いている


メインは後半展開される「殺人」事件
ある公団幹部の男が真鶴の海岸沖で溺死体となって発見された


犯人は、「官庁ボス」の西原という男だが、死亡推定時刻のころ、西原は東京の自分の経営する店にいてマージャンをしていたというアリバイがある
西原がその時間に真鶴にいけるはずがない


だが、何も行く必要はなかったのだ
公団幹部の男ををこちらに呼べばいいのだから…まさに「逆転の発想」の謎解きだった


●「断崖」(今回の文庫のタイトルになっている)


北海道の岬にある観光客用の宿泊センター
ある夜、自殺志願の若い女性が死にきれず、助けを求めてきた


管理人の62歳の谷口は「口もとがやさしい」「柔和な顔」をした「いい人」なのだが、部屋で疲れて果てて寝入る女性の乱れた姿に思わず…


女性は気づかず、その後、礼状まで届いた
しかし、一方で地元では「好奇と軽蔑と疑念」の目で見られるようになる


苦悩した谷口はその断崖から自ら身を投げる…

やるせない、哀れな物語である


●「よごれた虹


手紙形式で語られる、ある地方の相互銀行の「お家騒動」と朝鮮特需に絡んだ「謀略秘話」


朝鮮戦争時、日本の元海軍出身者たちが掃海の腕を見込まれ参加していた
その時、使われた資金がこの相互銀行に秘密裏に預けられていた…


清張お得意の戦後裏面史、こんなこともあったのか、と驚く


●「粗い鋼板


戦前の「大本教事件」がモデル


特高課長の主人公が新興宗教の「真道教」を摘発するために知恵を絞る
一度、不敬罪で摘発されているため、一事不再理で同じ罪で問うことができない


時あたかも国家あげての戦争体制
各地で軍事教練が行われていた
「真道教」の青年信者たちも…


主人公の頭を不意に貫いた「白く光る筋」
武力蜂起準備と取れば治安維持法違反にできる!


宗教を摘発しようという、取り締まる側の視点に立っての展開はある意味、斬新ではある

「大本教事件」をモデルした高橋和巳の「邪宗門」を思い出した


●「骨折


清張が世界推理小説会議に参加した際に「余興」で作ったらしいわずか1000字の「推理コント」
凝縮されたこの一文、膨らませて小説にすれば、清張には珍しい国際推理小説になるだろう

文藝春秋 村上春樹(以下ハルキ)の生原稿が古書店やネットオークションに大量に流出していた


●文藝春秋4月号でハルキ自身が「ある編集者の生と死-安原顯氏のこと」というタイトルで書いた文章で明らかにしている


この中でハルキは、生原稿の流出元が、かつてつきあいがあった中央公論新社(当時・中央公論社)の編集者・安原顯であるとしている


その上で、こうした行為は「編集者としてあってなならない」と述べ、「明白に基本的な職業モラルに反し」「法的に言っても、一種の盗品売買にあたるのではあるまいか」とまで書いている


●しかし、ハルキはただ単に安原を厳しく糾弾し、遺族や中央公論新社を相手に告訴をしようとか損害賠償を求めようとかしているわけではない


安原とはハルキのデビュー前、ジャズの店を経営していたころからのつきあいであり、編集者としての安原を「いささかクセはあるが興味深い人物」だと思っていたという


安原は、陰で他人の悪口を言わず、言いたいことは本人の目の前で堂々と口にしていた

ハルキの小説につても一番素直に喜び、手渡した原稿に書き直しを要求されたことはなかったらしい


●ところが、ある時点を境に安原の態度が一変し、ハルキを他のところで手のひらを返したように批判し始めた


ハルキに対しても冷ややかな態度を取り、その後、二人の関係は急速に冷え込む


ハルキによれば、安原は小説を書いていたが、「正直言って、とくに面白い小説ではなかった」し、賞を取ることも、広く注目を集めることもなかった


●ハルキは、はっきり書いていないが、私は、安原の態度の一変は、ハルキに対する「嫉妬」にあったのだと思う


安原としては、プロの編集者としての自負がある

いつも通っていた店の「あんちゃん」(失礼!)が書いた小説が人気を博し、どんどん登りつめていくことに、心の中では悔しさが渦巻いていたのではないか


そこで「自分も」と小説を書き始めるが、思うように評価されない

そうした複雑な心理が、ハルキの生原稿流出の背景にあるのだと思う


●ハルキは大人である

安原を「長い歳月にわたって少なからず親愛の情を抱くことができた一人のユニークな人間」として、その死を悼む


しかし「そのほかにさらに悼むべきこと」があることに「やるせなさ」を感じるのである


死のほかに悼むべきもの、おそらくそれは人間としての「誇り」なのではないか

安原の死と共に、彼はその「誇り」さえも失っていた

そのことに、ハルキは深いため息をつくのである


私は、そう思う

226関連 「二・二六事件」で処刑された将校の遺族が遺書や決起趣意書などの史料を防衛研究所に寄贈したという

青年将校の一人で銃殺刑に処せられた安田優(やすだ・ゆたか)陸軍歩兵少尉の実弟・安田善三郎さんが世話人を務める遺族会「仏心会」が、「戦史研究に役立ててほしい」として寄贈をきめたという


この中には、弾痕が額にある安田少尉のデスマスクがある


事件当時、安田少尉は24歳の若さ

善三郎さんは現在80歳なので、当時はまだ10歳だったことになる


処刑5分前の安田少尉の絶筆が「図説 2・26事件」(河出書房新社)に掲載されている


白妙の不二の高嶺を仰ぎつつ 武さしの野辺に我が身はてなむ 我を愛せむより国を愛するため


この70年間、事件の跡が無残な形で残された安田少尉のデスマスクを守り続けた善三郎さんら遺族の気持ちを思うと、言葉を失う


※写真はhttp://www.sankei.co.jp/news/060309/sha067.htm より引用


●(以下引用)………………………………………………………………

青年将校の遺書など寄贈 「二・二六事件」70年で遺族 (サンケイネットより)

 陸軍の青年将校らが軍事クーデターを狙った1936年の「二・二六事件」で処刑された将校の遺族が9日、「戦史研究に役立ててほしい」と遺書や決起趣意書などの史料計数百点を防衛庁の防衛研究所(東京都目黒区)に寄贈した。
 史料は、決起趣意書や処刑直前に書かれた将校たちの遺書のほか、事件の中心人物の1人、安藤輝三(あんどう・てるぞう)大尉が自決を図った際の血痕があるとされる日章旗、銃殺刑による弾痕が額にある安田優(やすだ・ゆたか)少尉のデスマスク―など。
 遺族らでつくる「仏心会」が、事件から70年が経過したことを受け寄贈を決めたという。
 安田少尉の実弟で同会世話人の安田善三郎(やすだ・ぜんざぶろう)さん(80)=神奈川県葉山町=が目録や史料を防衛研究所に持参。「遺族の高齢化が進み、各自が遺品などを持っていても散逸する懸念があった。昭和史を記録する史料として残してほしい」と話していた。
 二・二六事件では「昭和維新」を唱えた将校らがクーデターを計画。首相官邸などを襲撃し、高橋是清(たかはし・これきよ)蔵相らを殺害したが、天皇の命令で鎮圧された。青年将校17人と右翼思想家、北一輝(きた・いっき)らが処刑された。

(03/09 16:49)


知るを楽しむ ●詩人の吉増剛造による「私のこだわり人物伝 柳田國男」が今日からNHK教育の番組「知るを楽しむ」の3月分として始まった

吉増は柳田の生まれ故郷である兵庫県・辻川を訪ね、そこに柳田民俗学の原点があると感じたという


この地で柳田の小さな心が芽生え、彼の「感受性のアンテナ」が鋭く研ぎ澄まされていったのである


●大家族がひしめき合って暮らした生家を柳田は「日本一小さな家」と呼んだ


そこで、大人たちの「生」の秘密を垣間見た柳田が「口を閉ざして生きていく」という術(すべ)を培っていったという吉増の指摘は卓見だ


すべてをさらけ出すのではなく、独特の含みを持った柳田の文体は、小林秀雄が言うようにそれを理解することなくして、柳田を本当に理解したことにはならないのだと思う


●神隠しに遭いやすい性質を持っていた、と自ら語る柳田は、この故郷で「別の世界との通路」を見つけ、「動物たちとの関わりを結ぶ通路」を見つけた


そうした発見が何度も繰り返し書かれ、柳田の民俗学が出来上がっていったのだという


民俗学は、「言葉の積み重ね」だと、つくづく思う


●柳田國男は、吉増の表現を借りれば「文学とか心理学などと一味違う命の端っこの手ざわりに近いようなものを持っていた稀有な人」だった


吉増はそこに柳田の「詩人の魂」を見た


現代の詩人が、日本民俗学の碩学に「こだわる」理由がそこにある


∵…………………………………………………………………


●吉増の語りは、繊細で丁寧、時に柳田の文章を情感をこめて朗読していた

頭の中に出来上がった詩的宇宙をやさしく紡ぎ出してくれるような感じで、好感を持てた


●吉増が38年前、NHKラジオで聞き、感動したという柳田の講演が番組の中で流された

初めて聞いた柳田の肉声はごく普通の年寄りが話しているという感じで、もう少し重厚な雰囲気を想像していた私には意外だった

ルパンの消息 ●「ルパンの消息」は横山秀夫がまだ上毛新聞の記者だった34歳の時、書かれたものだ

横山はこの作品で平成3年の第9回サントリーミステリー大賞佳作に選ばれるが、刊行されることなく、フロッピーディスクで眠り続けていたという


光文社のカッパノベルからようやく発刊されたのが、昨年(平成18年)5月、発表から15年の歳月を経ていた


●実は、この小説を読み始めた時、登場人物の会話の品のなさに閉口した


特に主人公となるツッパリ高校生は、ジュニア小説に出てくるようなズッコケ3人組みたいで、とんでもない本を読み始めてしまった、と後悔した


しかし、高校生たちが女性教師殺人事件に巻き込まれてから、彼らは、にわかに活気づいて、嘘っぽいところがなくなり、ミステリーらしくなってきた


●それは、事件から15年後の時効完成当日、警察サイドのあわただしい動きが緊迫感を与え、作品がより深みを増したからだと思う


とりわけ、現役の新聞記者だった横山らしく、溝呂木を始めデカたちの人間像は迫真に満ちていた


しかも二重、三重に張られた伏線があとからじわじわっと効果をあげる


●最後、事件の「真犯人」と溝呂木との時効完成ラスト20分間の攻防は、ドラマティックで、思わずうなってしまった


その犯行の真の動機は「空虚な思いを埋めるため」に「時効の時報を聞く快感」にあったと溝呂木が「真犯人」に突きつけるところには、思わず身震いした


謎の美人婦警の正体も、もしかしたらあの女の子かな、とうすうす勘づいてはいたが、そのエンディングのもって行き方は、まさにお見事であった


●横山は「読み手の心に『G』がかかる小説を書き続けたい」と著者の言葉に書いているが、この作品は、私の心に十二分に「G」がかかった


それは、この作品が単なるミステリーを超えた本格的な人間心理のドラマになっているからだ


好きだった女のために「人生そのものを捧げた」という、この作品の主人公のひとり「橘」という人間の「純粋」に、私は静かな感動すら覚えたほどだ


この作品の完成度は、高い

久世光彦 久世光彦氏が亡くなった
突然の訃報でびっくりした

といっても私にとっての久世氏は、若いころリアルタイムで見ていた「寺内貫太郎一家」や「時間ですよ」を制作したテレビマンという認識しかない
TBSを退職後、本を書いていたことは知っていたが、私はまだ一冊も読んではいない

◎久世氏の写真は以下より引用
http://www.oricon.co.jp/news/entertainment/14284/


●今朝の主要紙のコラムはすべて久世氏の死を悼んでいるが、テレビマンだった久世氏というより、「作家」としての久世氏を高く評価していることに驚く


編集手帳は、「滅びゆく美しい言葉」の使い手だったと書き、「流れゆく時の語り部を喪った」と嘆いた
天声人語は、久世氏が描いたのは「人々の心のひだであり、時代のひだ」であったとし、氏を「昭和という名の列車にともる後尾灯」になぞらえた


余録は久世氏は小説の中で、かつての日本の家にあった「闇と光のあわい」描きたかったと書き、春秋も、久世氏が「還暦手前で遅咲きの小説家」だったことを挙げ、氏が「描き、語り続けたのは現代の日本が見失った心や人のありようへの郷愁」だったと指摘した


産経抄は、最近、久世氏が死に対して「虚無感」を抱いていた、と別の角度から述べ、その作家活動を通じて「自らの死を周到に演出してきた」と書いているのが心に残った


●最近、「3丁目の夕日」という映画が関心を集めているように「昭和」という時代が見直されているという
単なるノスタルジアに終わらせるのではなく、「昭和」が残した大切なものをあらためて心でかみしめてみたい


「作家」久世光彦の世界をぜひ知りたいと思う
手始めに「一九三四年冬―乱歩」あたりから読んでみようか


●(以下引用)………………………………………………………………

★3月4日付・編集手帳(読売新聞)
 かつての人気ドラマ「寺内貫太郎一家」(向田邦子作)には毎回、食事の場面があった。ある日の台本に、「朝食の献立――ゆうべのカレーの残り」と書かれていた◆「あれ、一晩たつとうまいんだな」。収録のスタジオで父親役の小林亜星さんや息子役の西城秀樹さんが話に花を咲かせた。遠い日の食卓が浮かんでか、傍らで母親役の加藤治子さんが泣いていた◆演出家の久世光彦さんは「触れもせで」(講談社)に書いている。煮凝(にこご)りになった魚の煮物など、「ゆうべの残り」で忘れがたいものはほかにもある。そして、「人の世の毎日は〈ゆうべの残り〉を引きずりながら次の日、また次の日へとつながっていく」のだと◆作家としても健筆を振るった久世さんが70歳で急逝した。滅びゆく美しい言葉、胸に刻まれた詩、忘れられない歌を折に触れて語った随筆を愛読された方も多いだろう◆いまは使われることの少ない「冥利(みょうり)が悪い」(ありがたすぎて、罰が当たりそうで申し訳ない)という言葉を愛惜した。「言ふなかれ、君よ、わかれを/世の常を、また生き死にを」(大木惇夫(あつお)「戦友別盃(べっぱい)の歌」)という詩を愛唱した◆悲惨と絶望の一色で語られることの多い戦前・戦中の暮らしのなかから、「ゆうべの残り」を紡いだ人である。またひとり、流れゆく時の語り部を喪(うしな)った。

★3月4日付・天声人語(朝日新聞)
「子供のころ、男の子のくせに、端午(たんご)の節句よりも、桃の節句の方が好きだった」。母が嫁入りの時に持ってきた雛(ひな)人形は「長い年月の埃(ほこり)と黴(かび)の匂いがした。??私は、それが好きだったのかもしれない」。自著『昭和恋々 パートII』(清流出版)にこう書いた演出家で作家の久世光彦さんが70歳で亡くなった。
 テレビドラマ「寺内貫太郎一家」に出演した小林亜星さんは、心のひだの裏側を理屈でなく分かる人だったと惜しんだ。確かに人生の機微を切れのいい文章でつづり、卓抜なテレビドラマにした。描いたものは人々の心のひだであり、時代のひだでもあった。
 改めて幾つかの著書を開くと、そのひだの数々が現れる。三輪車、木造校舎、縁側、汽車、番傘、割烹着(かっぽうぎ)……。時とともに身の回りから消えていったものが巧みな筆でよみがえる。
「冬の朝、布団の中で目を覚ますと、いろんな匂いがしたものだ。台所から廊下伝いに漂ってくる味噌汁の匂い、うっすらと垣根の山茶花(さざんか)の香り、その中に交じって焚火(たきび)の煙の匂いもあった」。写真と文を組み合わせた「焚火」の一節だ。
 古物屋の大時計の写真の脇には、こう記されている。「街にしても建物にしても、そして人の一生にしても、すべての物語の主役は??〈歳月〉である」
 いっときも止まらずに流れてゆく年月の中で、記憶にある日々を形にしてとどめ、後の世代に伝えようと力を尽くした。久世さんは、いわば昭和という名の列車にともる後尾灯だった。一筋の光跡を描きながら、その列車が遠ざかってゆく。

★3月4日付・余録 (毎日新聞)
 「私のホームドラマは、どれも間取りがおなじである」。TVプロデューサーの久世光彦(てるひこ)さんは書いている。茶の間があって右側は台所で、正面には中庭に面した廊下がある。左に行くと玄関と2階への階段があり、反対方向は浴室、洗面所と決まっている▲言われれば、すぐに久世さんが演出したドラマ「寺内貫太郎一家」が思い浮かぶ。実は脚本を書いた向田邦子さんも、久世さんも、子供時代には同じ間取りの家に住んでいたのだ。昭和10年代の東京・山の手のサラリーマンの家の典型的な間取りである▲「中庭には痩(や)せた金木犀(きんもくせい)の木が三本ばかり、裏手に回ると塀沿いに低い八手の木が植わっていて……その辺りからツンと鼻をつくドクダミの匂(にお)いがしはじめて、少し行くと白い石灰を撒(ま)いたご不浄の汲取(くみとり)口がある」。そこまで似ていて2人で笑い合った▲その家で使われた言葉は「我慢」ではなく「辛抱」、「恥ずかしい」ではなく「きまりが悪い」、「いらいらする」ではなく「じれったい」だった。久世さんが昭和を舞台にしたドラマを作り続けたのは、向田さんがいとおしんだそのような言葉を生き返らせたかったからでもあった▲だがテレビでは描けないものもある。一つはあのころの家の「廊下の冷たさ」だ。もう一つは「あちこちにあった薄あかり」である。夜中に起きてふと目に入る障子の白さ、雨戸の節穴から入る朝の光、日が落ちる少し前の仏壇のつつましい輝き……▲久世さんが小説を書いたのは、そんな闇と光のあわいを描きたかったからなのかもしれない。その急逝で昭和はまた一つ遠くなった。だが久世さんを迎えた天国にも、きっとあの懐かしい家があるだろう。その暖かな縁側で今ごろ向田さんと何を話しているだろう。

★3月4日付・春秋(日本経済新聞)
 姉たちに囲まれて育ったせいか、久世光彦さんはひな祭りの季節が好きだった。「3月3日がいい」というのでちょうど1年前にお会いした折、「僕にとって平成以降の時代は色のないモノクロ写真のようだね」と話したのが印象深い。
▼頑固な父親と家族の喜劇『寺内貫太郎一家』など向田邦子さんの作品のテレビドラマで知られる演出家は、舞台劇や歌謡曲の作詞など多彩な才能で親しまれたが、その創造のもっとも深いところには文学があった。還暦手前で遅咲きの小説家のデビューを果たして「若い日に別れた恋人と再会した気持ち」と喜んだ。
▼「言葉や写真として残されている物の陰や、行間や裏側に大切なものは姿を隠したままなのである」。久世さんが描き、語り続けたのは現代の日本が見失った心や人のありようへの郷愁である。「昭和」という生まれ育った同時代への深い思い入れは、家族の愛憎や男女の機微を見つめる向田ドラマに結晶した。
▼日本人が敗戦によって手放した美質や戦後の成長と効率の代償に見失った価値の重さを、久世さんは小説のなかの漱石や芥川や乱歩や太宰に語らせたかったのだろう。ノスタルジーという形式で「失われた時」を語り続けた作家が好きだった桃の季節に急逝した。人のきずなが揺らぎ心が乾く時代。昭和遙(はる)かなり。

★3月4日付・産経抄 (産経新聞)
 「地平の果てにゆっくりと没して行く落日もあれば、急転直下、あっという間の落日もある」。人の死をそんなふうに評した演出家の久世光彦さんは、呆気(あっけ)なく人生を閉じた。享年七十。下の句風に受けて「いずれにしても、陽はまた昇らない」と結んだ(『マイ・ラスト・ソング』)。何という虚無感だろう。
 ▼虚血性心不全による急死だ。久世さんは桜の下で死んだ西行法師の死を羨(うらや)んでいたが少しばかり早すぎたようだ。弔問に訪れた左とん平さんは「本人はまだ死んだことに気づいてないな」とまぜっかえした。
 ▼久世さんは、「時間ですよ」「寺内貫太郎一家」などのヒットメーカーだった。素人演技の小林亜星さんに本気で暴れさせ、ド迫力を引き出す魔術師だ。下手な演技には鉄拳や灰皿が飛ぶ。貫太郎には久世さん本人の生きざまが注入されていたのかもしれない。
 ▼それにしても雑誌に連載中の久世さんのコラムは示唆的だ。『諸君!』の「マイ・ラスト・ソング」は、臨終の間際にどんな歌を聴きたいかと読者に迫る。ご本人はプッチーニの「私の好きなお父さま」か「アルハンブラの思い出」かとあれこれ悩む。
 ▼一曲だけの無理な注文と知りつつ、小林亜星さんに白状せよと迫った。「アラビアの唄かな」と答えを聞くと、「亜星危うし」の際はこの歌を持って駆けつけると書いた。あれは主語が久世さんに入れ替わった場合の布石だったか。
 ▼週刊新潮の連載は森繁久弥さんの語りによる「大遺言」だ。今週号には内田百●の「冥途」が出てくる。久世さんは死を怖がる百●が現世と来世の「茫漠とした境目」を発見して安寧を得たのだという。不世出の演出家は自らの死を周到に演出してきたように思えてならない。
●=門がまえに月

清張作品集「失踪」 双葉文庫から「松本清張初文庫化作品集」というシリーズの刊行が始まった
昨年11月「失踪」、12月断崖」、今年2月「途上」と、それぞれ収録作品のひとつからタイトルをとっている

まず第1弾の「失踪」(第2、第3弾は今後、随時)

●「
この作品には、してやられた


病院の院長と婦長が失踪、薬剤師が首を吊り、事務長が飛び降り自殺と次々に事件が起こる
主人公の「」は、この病院に「入院」していた…


読み始め、すぐに出てきた「私」の自己紹介、ストレートに書かないで、わざわざ入院患者名簿に託して紹介している
「おやっ」と思いつつも、そのまま読み流してしまった


これにだまされた、読者との「お約束」を清張が破る禁じ手のワナだったのだ
だって、てっきり出版業と思いこんでいた「私」がまさか…


こういうふうに話さないと、話の筋がおもしろくないからです」と最後に書く清張のニヤリとした顔が浮かぶ


●「失踪」(この文庫のタイトルになっている)

正直、これは読みづらかった


21歳の若い女の謎の失踪には土地家屋の売買が絡んでおり、黒い男たちの影がちらついていた…というよくあるストーリーなのだが、登場人物の関係がわかりにくく、ページを行きつ戻りつしながらでないとわからなかった


後半になって、殺人で死刑判決を受けた黒い男のひとり、江藤誠一が冤罪を主張する上申書が書き綴られるが、これもまた丹念に読み込んでいかないとすっきり頭に入らない


江藤が無実を晴らすのは、彼のアリバイを証明する「パチンコ店で見かけた男」を探し出すしか手がなかったが、最後まで「幻の男」は見つからなかった


清張はこの事件のナゾに、「いつも誰かに会った時日を正確に日記に書き込まねばならぬような不安と圧迫感に襲われる」と書き、冤罪の恐怖を訴えるが、清張自身認めているように構成上、かなり無理が感じられる作品である


●「二冊の同じ本
いかにも清張らしい、熟練の筆さばきで書かれた作品


死んだ友人から譲られた本の書き込みと、古書展で見つけた同じ本に残された書き込みが奇妙にシンクロしている
友人はなぜ、こんな奇妙な方法で本への書き込みをしていたのか


友人は生前、すでに妻帯して四十にもなる男を養子にしていたが、男はこの本の行方を執拗に追っていた
一気に深まるナゾ


実は友人は愛人の家で殺人事件を起こしていた
そして、なんと男は友人の身代わりとなり、逮捕されていたのだ
弱みを握られた友人は、出所してきた男の言うなりになるしかなかった…


だが、友人の未亡人が、意外などんでん返しで男への「復讐」を果たす
まさに推理の清張、巧みのワザ


●「詩と電話
私も読売の記者時代、地方都市の支局や通信部で勤務をしたことがある
全国紙のほかに地方紙や県紙、地元ローカル紙などの記者が数多くいた
当然のことながら地元の情報は詳しく、ずいぶんと世話になったものだ


この作品の主人公、梅木欣一は本社のベテラン記者
病気で休んでいたため「予後の転地(療養)」として地方の通信部へ
赴任先の田舎の記者クラブは地元紙の古株・小林太治郎に牛耳られていた


この小林がとんでもない情報通で、事件があっても警察より早く現場に到着しているという神ワザの記者だった
プライドが高い梅木は小林に対抗心を燃やし、挑戦的態度を取るが、どうしても小林にはかなわず、何度か特オチまでしてしまう


しかし、小林のその神ワザの秘密がわかった
彼は警察の…とつながりがあったのだ


梅木はその「ディープスロート」(「大統領の陰謀」に出てくるネタ元のニックネーム)の趣味につけこんで篭絡し、小林から奪い返した
とたんに梅木は特ダネを連続してかっ飛ばす


しかし「試験でいい点をとったが、カンニングをしているようなうしろめたさ」を感じた梅木は最後に「正々堂々と競争」することを決意する
さわやかなエンディングに好感を持てる作品だ


清張が記者の心理をしっかりつかんで書いているところがいい
編者の細谷正充が解説で「提示される謎と、ラストに立ち上がる職業人の誇り。現代を舞台にしても違和感のない内容」で、まるで横山秀夫の作品のようだ、と書いているのもうなずける

ねじの回転上 ねじの回転下恩田陸の「ねじの回転」が2・26事件を題材にしたタイムトラベルものだというので、早速読んでみた


同様な小説として、最近では宮部みゆきの「蒲生亭事件」があるが、あちらは大学受験の予備校生が「2・26」のさなかに迷い込み、事件をいわば「客観視」する立場で書かれていた

http://blog.livedoor.jp/up_down_go_go/archives/178415.html


しかし、こちらは「2・26」そのものが舞台となっており、事件の主役だった青年将校の安藤輝三大尉栗原安秀中尉、それに何とあの石原莞爾までが登場し、彼らの視点でその内面までが描かれている画期的(!)な作品となっている


●時間遡行装置が発明され、過去に自由に行く手段を持った人類に、老化が加速度的に進行して死に至るHIDS(歴史免疫不全症候群)という奇病が発生


その根を絶つために、国連は時間と歴史を修正する一大プロジェクトを策定し、そのために選ばれたのが2・26事件というわけだ


物語は安藤、栗原、石原が未来の国連に委託され、史実との「不一致」を修正しながら行動していく流れと、それを監視し、時間をコントロールしていく国連スタッフたちの取り組みという二つの流れが並行して描かれる


●しかし、史実通りに再現する「人形」になることに抵抗した事件の主役たちは、時に自分たちの信念を貫き通そうと史実とは違う動きをするようになる


例えば、安藤は、あの「陸軍大臣告示」の「行動」の部分が「真意」になっていることに不審を抱き、その謎を確かめるべく、宮城に乗り込もうとするし、早朝、首相官邸を襲撃した栗原は夜になって単身、官邸に向かい、女中部屋に隠れている岡田首相を射殺する


史実にありえない出来事が次々起こり、そのつど、時間は巻き戻され、彼らは「奇妙な感覚」を感じながら、もう一度史実通りにやり直すことを余儀なくされる


●だが、史実の修正のさなかにハッカーが入り込んだり、HIDSが兵士の間に集団発生したり、さらに少ない情報の中で陸軍と海軍が同士討ちをする恐れが出たりと、歴史は少しづつ狂い出す


ならばと、「すべてやり直し」をすることになり、事態は思いがけない展開を見せてくる


キーパーソンとなるのは国連職員のマツモトで、物語の途中に張られた伏線をもとに、最後に「なるほど」とうならせるような活躍をする


●恩田陸は「2・26」の歴史資料を重要なターニングポイントで丁寧に紹介しながら、それに関わった安藤、栗原、石原の心理を巧みに描写、その筆力に驚く


部下思いで頼りがいのある安藤、真っ直ぐで純粋な栗原、異様なオーラを滲ませる石原、彼らが生き生きと目の前に活写されるのが小気味いい


もうひとつの「2・26」として十分に楽しめた

三島由紀夫の2・26事件 ●三島が昭和天皇に対する呪詛をもって「叛乱」を起こしたというストーリーをバックアップしてくれるのが松本健一三島由紀夫の二・二六事件」(文春新書)である


松本はこの本で、三島と天皇の関係に北一輝を加え、「三つ巴」の「緊張関係」という構図で問題を解きほぐしていく


言うまでもなく、北は「2・26」の青年将校に思想的影響を与えたとされる思想家である


北は当時、排撃されていた「天皇機関説」の立場をとっていた


有名な「日本改造法案大綱」では、天皇を「国民の総代表」として位置づけ、戦後憲法の象徴天皇制と基本原理は同じだったという


天皇に「絶対の価値」を置く三島は、当然の帰結としてこうした北の思想を受け入れなかったのである


●一方、三島の「英霊の聲」に強い影響を与えたされるのが、磯部浅一大尉の「獄中日記」であることを、松本が指摘している


なんと磯部大尉はこの中で、青年将校を死刑に処した昭和天皇への恨みごとを綿々と綴っているのである


いわく「天皇陛下、なんという御失政でござりますか。なぜ奸臣を遠ざけて、忠烈無双の士をお召しになりませぬか

いわく「何というザマです。皇祖皇宗に御あやまりなさいませ


ところが、その磯部は「日本改造法案大綱」を「我が革命党のコーラン」とし、「北一輝思想への絶対的信奉」を表明しているのである


ここで、三島が「ヒーロー」と憧れた青年将校たちと北に対する姿勢において根本的なズレが生じていることに注意しなければならない


●北一輝研究の専門家である松本はこの本の中でも、北に多くのページをさいている

松本によれば、北は中国に生まれれば天子になっていたと豪語した非常に自負心の高い男であった


天皇は「機関」であるという考え方をする北は「天皇はデクノボー」と広言し、青年将校らの決起によって「ガラガラツと崩れる」と見通しを立てていた


しかし、昭和天皇は、「君主として明確な意思をもって『反乱軍』を鎮圧する命令」を出した


事件後、獄中で「若殿に兜とられて負け戦(いくさ)」と戯れ歌を詠んだ北は、昭和天皇からまったく無視されたのである


●三島もまた昭和天皇から無視されていた


だが、三島の方も「人間天皇」への「恋心」は失せていたのである


北は処刑される時、「天皇陛下万歳」と叫ぶことを拒否した
一方、三島は自決の時「天皇陛下万歳」を叫んだ


松本は、これを昭和天皇その人に対して叫んだのではなく、自分が「英霊の聲」で描いた「美しい天皇」という理想像に対して叫んだのではないかという


そして、三島は「政治的なる天皇」に破れ、みずからの「美しい天皇」とともに「亡命」していたのではないか、と


三島は今もなお、文字通りの「亡命」先である黄泉の国で「美しい天皇」を守る近衛兵として、忠烈無双の活躍をしているのであろうか