作品の冒頭部分、清張はこう書く
「汚職事件が起こると、課長補佐クラスの中堅役人が、いつも、その犠牲者になる」
「犠牲」というのは「死」であり、「自殺」である
清張は、こうした自殺は「精神的な他殺」であると断言する
「検事の峻烈な取調べで精神状態が動揺しているところへ、上司から、保身にのための苛烈な追及を受けるので、実直な者ほど自殺に追い込まれやすい」
で、この作品もそうした精神的に追い込ませて自殺させる、というストーリーなのかと思ったが、そうではなかった
清張は「自殺に見せかけた殺人」を描いている
メインは後半展開される「殺人」事件
ある公団幹部の男が真鶴の海岸沖で溺死体となって発見された
犯人は、「官庁ボス」の西原という男だが、死亡推定時刻のころ、西原は東京の自分の経営する店にいてマージャンをしていたというアリバイがある
西原がその時間に真鶴にいけるはずがない
だが、何も行く必要はなかったのだ
公団幹部の男ををこちらに呼べばいいのだから…まさに「逆転の発想」の謎解きだった
●「断崖」(今回の文庫のタイトルになっている)
北海道の岬にある観光客用の宿泊センター
ある夜、自殺志願の若い女性が死にきれず、助けを求めてきた
管理人の62歳の谷口は「口もとがやさしい」「柔和な顔」をした「いい人」なのだが、部屋で疲れて果てて寝入る女性の乱れた姿に思わず…
女性は気づかず、その後、礼状まで届いた
しかし、一方で地元では「好奇と軽蔑と疑念」の目で見られるようになる
苦悩した谷口はその断崖から自ら身を投げる…
やるせない、哀れな物語である
●「よごれた虹」
手紙形式で語られる、ある地方の相互銀行の「お家騒動」と朝鮮特需に絡んだ「謀略秘話」
朝鮮戦争時、日本の元海軍出身者たちが掃海の腕を見込まれ参加していた
その時、使われた資金がこの相互銀行に秘密裏に預けられていた…
清張お得意の戦後裏面史、こんなこともあったのか、と驚く
●「粗い鋼板」
戦前の「大本教事件」がモデル
特高課長の主人公が新興宗教の「真道教」を摘発するために知恵を絞る
一度、不敬罪で摘発されているため、一事不再理で同じ罪で問うことができない
時あたかも国家あげての戦争体制
各地で軍事教練が行われていた
「真道教」の青年信者たちも…
主人公の頭を不意に貫いた「白く光る筋」
武力蜂起準備と取れば治安維持法違反にできる!
宗教を摘発しようという、取り締まる側の視点に立っての展開はある意味、斬新ではある
「大本教事件」をモデルした高橋和巳の「邪宗門」を思い出した
●「骨折」
清張が世界推理小説会議に参加した際に「余興」で作ったらしいわずか1000字の「推理コント」
凝縮されたこの一文、膨らませて小説にすれば、清張には珍しい国際推理小説になるだろう