文藝春秋 村上春樹(以下ハルキ)の生原稿が古書店やネットオークションに大量に流出していた


●文藝春秋4月号でハルキ自身が「ある編集者の生と死-安原顯氏のこと」というタイトルで書いた文章で明らかにしている


この中でハルキは、生原稿の流出元が、かつてつきあいがあった中央公論新社(当時・中央公論社)の編集者・安原顯であるとしている


その上で、こうした行為は「編集者としてあってなならない」と述べ、「明白に基本的な職業モラルに反し」「法的に言っても、一種の盗品売買にあたるのではあるまいか」とまで書いている


●しかし、ハルキはただ単に安原を厳しく糾弾し、遺族や中央公論新社を相手に告訴をしようとか損害賠償を求めようとかしているわけではない


安原とはハルキのデビュー前、ジャズの店を経営していたころからのつきあいであり、編集者としての安原を「いささかクセはあるが興味深い人物」だと思っていたという


安原は、陰で他人の悪口を言わず、言いたいことは本人の目の前で堂々と口にしていた

ハルキの小説につても一番素直に喜び、手渡した原稿に書き直しを要求されたことはなかったらしい


●ところが、ある時点を境に安原の態度が一変し、ハルキを他のところで手のひらを返したように批判し始めた


ハルキに対しても冷ややかな態度を取り、その後、二人の関係は急速に冷え込む


ハルキによれば、安原は小説を書いていたが、「正直言って、とくに面白い小説ではなかった」し、賞を取ることも、広く注目を集めることもなかった


●ハルキは、はっきり書いていないが、私は、安原の態度の一変は、ハルキに対する「嫉妬」にあったのだと思う


安原としては、プロの編集者としての自負がある

いつも通っていた店の「あんちゃん」(失礼!)が書いた小説が人気を博し、どんどん登りつめていくことに、心の中では悔しさが渦巻いていたのではないか


そこで「自分も」と小説を書き始めるが、思うように評価されない

そうした複雑な心理が、ハルキの生原稿流出の背景にあるのだと思う


●ハルキは大人である

安原を「長い歳月にわたって少なからず親愛の情を抱くことができた一人のユニークな人間」として、その死を悼む


しかし「そのほかにさらに悼むべきこと」があることに「やるせなさ」を感じるのである


死のほかに悼むべきもの、おそらくそれは人間としての「誇り」なのではないか

安原の死と共に、彼はその「誇り」さえも失っていた

そのことに、ハルキは深いため息をつくのである


私は、そう思う