●三島が昭和天皇に対する呪詛をもって「叛乱」を起こしたというストーリーをバックアップしてくれるのが松本健一「三島由紀夫の二・二六事件」(文春新書)である
松本はこの本で、三島と天皇の関係に北一輝を加え、「三つ巴」の「緊張関係」という構図で問題を解きほぐしていく
言うまでもなく、北は「2・26」の青年将校に思想的影響を与えたとされる思想家である
北は当時、排撃されていた「天皇機関説」の立場をとっていた
有名な「日本改造法案大綱」では、天皇を「国民の総代表」として位置づけ、戦後憲法の象徴天皇制と基本原理は同じだったという
天皇に「絶対の価値」を置く三島は、当然の帰結としてこうした北の思想を受け入れなかったのである
●一方、三島の「英霊の聲」に強い影響を与えたされるのが、磯部浅一大尉の「獄中日記」であることを、松本が指摘している
なんと磯部大尉はこの中で、青年将校を死刑に処した昭和天皇への恨みごとを綿々と綴っているのである
いわく「天皇陛下、なんという御失政でござりますか。なぜ奸臣を遠ざけて、忠烈無双の士をお召しになりませぬか」
いわく「何というザマです。皇祖皇宗に御あやまりなさいませ」
ところが、その磯部は「日本改造法案大綱」を「我が革命党のコーラン」とし、「北一輝思想への絶対的信奉」を表明しているのである
ここで、三島が「ヒーロー」と憧れた青年将校たちと北に対する姿勢において根本的なズレが生じていることに注意しなければならない
●北一輝研究の専門家である松本はこの本の中でも、北に多くのページをさいている
松本によれば、北は中国に生まれれば天子になっていたと豪語した非常に自負心の高い男であった
天皇は「機関」であるという考え方をする北は「天皇はデクノボー」と広言し、青年将校らの決起によって「ガラガラツと崩れる」と見通しを立てていた
しかし、昭和天皇は、「君主として明確な意思をもって『反乱軍』を鎮圧する命令」を出した
事件後、獄中で「若殿に兜とられて負け戦(いくさ)」と戯れ歌を詠んだ北は、昭和天皇からまったく無視されたのである
●三島もまた昭和天皇から無視されていた
だが、三島の方も「人間天皇」への「恋心」は失せていたのである
北は処刑される時、「天皇陛下万歳」と叫ぶことを拒否した
一方、三島は自決の時「天皇陛下万歳」を叫んだ
松本は、これを昭和天皇その人に対して叫んだのではなく、自分が「英霊の聲」で描いた「美しい天皇」という理想像に対して叫んだのではないかという
そして、三島は「政治的なる天皇」に破れ、みずからの「美しい天皇」とともに「亡命」していたのではないか、と
三島は今もなお、文字通りの「亡命」先である黄泉の国で「美しい天皇」を守る近衛兵として、忠烈無双の活躍をしているのであろうか