久世光彦 久世光彦氏が亡くなった
突然の訃報でびっくりした

といっても私にとっての久世氏は、若いころリアルタイムで見ていた「寺内貫太郎一家」や「時間ですよ」を制作したテレビマンという認識しかない
TBSを退職後、本を書いていたことは知っていたが、私はまだ一冊も読んではいない

◎久世氏の写真は以下より引用
http://www.oricon.co.jp/news/entertainment/14284/


●今朝の主要紙のコラムはすべて久世氏の死を悼んでいるが、テレビマンだった久世氏というより、「作家」としての久世氏を高く評価していることに驚く


編集手帳は、「滅びゆく美しい言葉」の使い手だったと書き、「流れゆく時の語り部を喪った」と嘆いた
天声人語は、久世氏が描いたのは「人々の心のひだであり、時代のひだ」であったとし、氏を「昭和という名の列車にともる後尾灯」になぞらえた


余録は久世氏は小説の中で、かつての日本の家にあった「闇と光のあわい」描きたかったと書き、春秋も、久世氏が「還暦手前で遅咲きの小説家」だったことを挙げ、氏が「描き、語り続けたのは現代の日本が見失った心や人のありようへの郷愁」だったと指摘した


産経抄は、最近、久世氏が死に対して「虚無感」を抱いていた、と別の角度から述べ、その作家活動を通じて「自らの死を周到に演出してきた」と書いているのが心に残った


●最近、「3丁目の夕日」という映画が関心を集めているように「昭和」という時代が見直されているという
単なるノスタルジアに終わらせるのではなく、「昭和」が残した大切なものをあらためて心でかみしめてみたい


「作家」久世光彦の世界をぜひ知りたいと思う
手始めに「一九三四年冬―乱歩」あたりから読んでみようか


●(以下引用)………………………………………………………………

★3月4日付・編集手帳(読売新聞)
 かつての人気ドラマ「寺内貫太郎一家」(向田邦子作)には毎回、食事の場面があった。ある日の台本に、「朝食の献立――ゆうべのカレーの残り」と書かれていた◆「あれ、一晩たつとうまいんだな」。収録のスタジオで父親役の小林亜星さんや息子役の西城秀樹さんが話に花を咲かせた。遠い日の食卓が浮かんでか、傍らで母親役の加藤治子さんが泣いていた◆演出家の久世光彦さんは「触れもせで」(講談社)に書いている。煮凝(にこご)りになった魚の煮物など、「ゆうべの残り」で忘れがたいものはほかにもある。そして、「人の世の毎日は〈ゆうべの残り〉を引きずりながら次の日、また次の日へとつながっていく」のだと◆作家としても健筆を振るった久世さんが70歳で急逝した。滅びゆく美しい言葉、胸に刻まれた詩、忘れられない歌を折に触れて語った随筆を愛読された方も多いだろう◆いまは使われることの少ない「冥利(みょうり)が悪い」(ありがたすぎて、罰が当たりそうで申し訳ない)という言葉を愛惜した。「言ふなかれ、君よ、わかれを/世の常を、また生き死にを」(大木惇夫(あつお)「戦友別盃(べっぱい)の歌」)という詩を愛唱した◆悲惨と絶望の一色で語られることの多い戦前・戦中の暮らしのなかから、「ゆうべの残り」を紡いだ人である。またひとり、流れゆく時の語り部を喪(うしな)った。

★3月4日付・天声人語(朝日新聞)
「子供のころ、男の子のくせに、端午(たんご)の節句よりも、桃の節句の方が好きだった」。母が嫁入りの時に持ってきた雛(ひな)人形は「長い年月の埃(ほこり)と黴(かび)の匂いがした。??私は、それが好きだったのかもしれない」。自著『昭和恋々 パートII』(清流出版)にこう書いた演出家で作家の久世光彦さんが70歳で亡くなった。
 テレビドラマ「寺内貫太郎一家」に出演した小林亜星さんは、心のひだの裏側を理屈でなく分かる人だったと惜しんだ。確かに人生の機微を切れのいい文章でつづり、卓抜なテレビドラマにした。描いたものは人々の心のひだであり、時代のひだでもあった。
 改めて幾つかの著書を開くと、そのひだの数々が現れる。三輪車、木造校舎、縁側、汽車、番傘、割烹着(かっぽうぎ)……。時とともに身の回りから消えていったものが巧みな筆でよみがえる。
「冬の朝、布団の中で目を覚ますと、いろんな匂いがしたものだ。台所から廊下伝いに漂ってくる味噌汁の匂い、うっすらと垣根の山茶花(さざんか)の香り、その中に交じって焚火(たきび)の煙の匂いもあった」。写真と文を組み合わせた「焚火」の一節だ。
 古物屋の大時計の写真の脇には、こう記されている。「街にしても建物にしても、そして人の一生にしても、すべての物語の主役は??〈歳月〉である」
 いっときも止まらずに流れてゆく年月の中で、記憶にある日々を形にしてとどめ、後の世代に伝えようと力を尽くした。久世さんは、いわば昭和という名の列車にともる後尾灯だった。一筋の光跡を描きながら、その列車が遠ざかってゆく。

★3月4日付・余録 (毎日新聞)
 「私のホームドラマは、どれも間取りがおなじである」。TVプロデューサーの久世光彦(てるひこ)さんは書いている。茶の間があって右側は台所で、正面には中庭に面した廊下がある。左に行くと玄関と2階への階段があり、反対方向は浴室、洗面所と決まっている▲言われれば、すぐに久世さんが演出したドラマ「寺内貫太郎一家」が思い浮かぶ。実は脚本を書いた向田邦子さんも、久世さんも、子供時代には同じ間取りの家に住んでいたのだ。昭和10年代の東京・山の手のサラリーマンの家の典型的な間取りである▲「中庭には痩(や)せた金木犀(きんもくせい)の木が三本ばかり、裏手に回ると塀沿いに低い八手の木が植わっていて……その辺りからツンと鼻をつくドクダミの匂(にお)いがしはじめて、少し行くと白い石灰を撒(ま)いたご不浄の汲取(くみとり)口がある」。そこまで似ていて2人で笑い合った▲その家で使われた言葉は「我慢」ではなく「辛抱」、「恥ずかしい」ではなく「きまりが悪い」、「いらいらする」ではなく「じれったい」だった。久世さんが昭和を舞台にしたドラマを作り続けたのは、向田さんがいとおしんだそのような言葉を生き返らせたかったからでもあった▲だがテレビでは描けないものもある。一つはあのころの家の「廊下の冷たさ」だ。もう一つは「あちこちにあった薄あかり」である。夜中に起きてふと目に入る障子の白さ、雨戸の節穴から入る朝の光、日が落ちる少し前の仏壇のつつましい輝き……▲久世さんが小説を書いたのは、そんな闇と光のあわいを描きたかったからなのかもしれない。その急逝で昭和はまた一つ遠くなった。だが久世さんを迎えた天国にも、きっとあの懐かしい家があるだろう。その暖かな縁側で今ごろ向田さんと何を話しているだろう。

★3月4日付・春秋(日本経済新聞)
 姉たちに囲まれて育ったせいか、久世光彦さんはひな祭りの季節が好きだった。「3月3日がいい」というのでちょうど1年前にお会いした折、「僕にとって平成以降の時代は色のないモノクロ写真のようだね」と話したのが印象深い。
▼頑固な父親と家族の喜劇『寺内貫太郎一家』など向田邦子さんの作品のテレビドラマで知られる演出家は、舞台劇や歌謡曲の作詞など多彩な才能で親しまれたが、その創造のもっとも深いところには文学があった。還暦手前で遅咲きの小説家のデビューを果たして「若い日に別れた恋人と再会した気持ち」と喜んだ。
▼「言葉や写真として残されている物の陰や、行間や裏側に大切なものは姿を隠したままなのである」。久世さんが描き、語り続けたのは現代の日本が見失った心や人のありようへの郷愁である。「昭和」という生まれ育った同時代への深い思い入れは、家族の愛憎や男女の機微を見つめる向田ドラマに結晶した。
▼日本人が敗戦によって手放した美質や戦後の成長と効率の代償に見失った価値の重さを、久世さんは小説のなかの漱石や芥川や乱歩や太宰に語らせたかったのだろう。ノスタルジーという形式で「失われた時」を語り続けた作家が好きだった桃の季節に急逝した。人のきずなが揺らぎ心が乾く時代。昭和遙(はる)かなり。

★3月4日付・産経抄 (産経新聞)
 「地平の果てにゆっくりと没して行く落日もあれば、急転直下、あっという間の落日もある」。人の死をそんなふうに評した演出家の久世光彦さんは、呆気(あっけ)なく人生を閉じた。享年七十。下の句風に受けて「いずれにしても、陽はまた昇らない」と結んだ(『マイ・ラスト・ソング』)。何という虚無感だろう。
 ▼虚血性心不全による急死だ。久世さんは桜の下で死んだ西行法師の死を羨(うらや)んでいたが少しばかり早すぎたようだ。弔問に訪れた左とん平さんは「本人はまだ死んだことに気づいてないな」とまぜっかえした。
 ▼久世さんは、「時間ですよ」「寺内貫太郎一家」などのヒットメーカーだった。素人演技の小林亜星さんに本気で暴れさせ、ド迫力を引き出す魔術師だ。下手な演技には鉄拳や灰皿が飛ぶ。貫太郎には久世さん本人の生きざまが注入されていたのかもしれない。
 ▼それにしても雑誌に連載中の久世さんのコラムは示唆的だ。『諸君!』の「マイ・ラスト・ソング」は、臨終の間際にどんな歌を聴きたいかと読者に迫る。ご本人はプッチーニの「私の好きなお父さま」か「アルハンブラの思い出」かとあれこれ悩む。
 ▼一曲だけの無理な注文と知りつつ、小林亜星さんに白状せよと迫った。「アラビアの唄かな」と答えを聞くと、「亜星危うし」の際はこの歌を持って駆けつけると書いた。あれは主語が久世さんに入れ替わった場合の布石だったか。
 ▼週刊新潮の連載は森繁久弥さんの語りによる「大遺言」だ。今週号には内田百●の「冥途」が出てくる。久世さんは死を怖がる百●が現世と来世の「茫漠とした境目」を発見して安寧を得たのだという。不世出の演出家は自らの死を周到に演出してきたように思えてならない。
●=門がまえに月