三島由紀夫 毎日新聞のネット記事に、三島由紀夫が米滞在中の江藤淳に送った書簡5通が新たに見つかったというニュースが載っている
http://www.mainichi-msn.co.jp/photo/news/20060317k0000m040135000c.html

●それによると、江藤は当時、プリンストン大におり、三島が小説「美しい星」の英訳刊行に助力してほしいと依頼する内容だという


この頃、三島はノーベル賞を意識し始めており、この英訳を強く望んでいたらしいが、結局、実現しなかったという


書簡では、三島は江藤を「愛国者」、江藤は三島を「同志」と呼び合うなど、二人の親密さがうかがえる


その後、三島は江藤を罵倒する手紙を漢学者の安岡正篤あてに送っているといい、英訳が実現しなかったことで江藤に失望したのかもしれない


●私が注目したのは、書簡の中で三島が、ケネディ大統領暗殺について「かういふ風に人生の絶頂で死んだケネディは、政治家として実に幸福な男だと思ひます」と書いていたという点


記事には「自身の壮絶な死を予言しているかのようだ」とあり、佐藤秀明・近畿大教授の「ケネディには完全に自己投影している」という論評を紹介している


ケネディ暗殺は昭和38年(1963年)11月22日、この書簡は翌23日付けというから、三島にとっても衝撃的な事件であったに違いない


三島が市ヶ谷に乱入し、壮絶な死を遂げたのはことは、それから12年後の同じ11月の25日だから、偶然とはいえ、不思議な歴史の糸を感じる


※三島の写真は下記サイトより引用させていただきました
http://tawagotomeruhen.cocolog-nifty.com/mekakusi/cat3751611/