一気に読んだ
母親殺しを犯したミミズと彼に関わった四人の少女たち
物語はミミズと四人の少女たちそれぞれの視点で描いていくという、おなじみのキリノ独特の手法で進む
母親殺しを犯したミミズと彼に関わった四人の少女たち
物語はミミズと四人の少女たちそれぞれの視点で描いていくという、おなじみのキリノ独特の手法で進む
●ミミズの逃走劇、そこに少女たちがケータイというツールを通じ、時間を追いながら関わっていくことでスピード感が生まれ、より危うい展開を見せていく
特にミミズと行動を共にしたキラリンが、ついにはタクシー強盗の片割れとなり、事故で自滅していく場面はショッキングだった
彼女たちにとって「ケータイ」が自分の「生」を認識する日常のツールとするならば、「死」こそは自分の「生」を実感する最後のツールだったのではないか
キラリンの「死」の瞬間の「空を飛ぶ。爽快爽快」という独語ともつかない描写には、人生を「生」の一刹那として突っ走った少女の皮肉な充実感がある
●この作品で後半の大きなヤマ場となるのは、テラウチの自殺である
彼女はミミズの母親殺しを、わかりやすい「取り返しの付くこと」として批判し、軽蔑している
テラウチにとって「取り返しの付かないこと」は、「永久に終わらなくてずっと心の中に滞って、そのうち心が食べ尽くされてしまう恐ろしいこと」なのだ
それは浮気して罪深き母親を、愛するがゆえに許し、憎みながらも母親に「屈服」したことでもある
ミミズは実際に母親を殺したことで、ひとつの解決をみたが、テラウチはこれまで心の中で何度も母親を殺してきただけで、解決されないまま、心の中に鬱屈していたのだ
ミミズの母親殺しは、この作品のとっかかりに過ぎない
キラリンの壮絶な死、そしてテラウチの内省的な死、それらこそ、彼女たちのリアルワールドであり、「死」の中にしかリアルワールドを見つけられない、少女たちの歪んだ心がある