ラジオ記者、走る ●学生時代、在京のあるラジオ局の報道部で、報道助手のアルバイトをしていた
勤務は夕方から翌日朝まで、泊まりの社員の記者と共に夜の定時ニュースや突発ニュースの編集の補助をするのが仕事だった

ある夜、仕事が一段落した時、記者のAさんがこんな事を話してくれた
何かの取材で下町のお年寄りのところに行ったところ、「あれ、テレビカメラは来ていないの」と言われたという

「いや、まいったよ」と苦笑いしていたAさんの顔が今でも思い浮かぶ


昨日、この本を本屋で見た時、二十数年前のAさんの話を思い出して思わず衝動買いし、一気に読んでしまった(新潮新書・3月20日発行の新刊)


●ラジオは、著者が書いている通り「音声だけのメディア」である
映像もなければ大掛かりな舞台や仕掛けもない」シンプルメディアだ


さらに「算が乏しく、社員の数も少ない」から何でも一人でこなさなくてはならない
著者が自嘲気味に嘆いているようにテレビや新聞を大企業とするなら「中小企業か零細企業」といっていい


しかし、だからこそ大企業のメディアのように細分化、専門化されることなく、一人の記者にはオールラウンドプレーヤーとしての「やりがい」がある


●文化放送で報道畑を歩いた著者は、永田町の番記者たちの露骨な「差別」を受けながらも政治家に密着取材、イラクの戦争取材に行った時や雲仙普賢岳の大噴火の時なども、組織のバックアップもなく、時に生命の危険にさらされもした
さらには、アメリカで上院議員に立候補したヒラリー夫人の陣営に入り込むという「裏ワザ」で、独自の「ゲリラ取材」を行ったりもした


そこにあるのはラジオというメディアに対する限りない愛着である
彼は「時代の動きを分かりやすく伝えることが自分の天職」という
この本の帯にあるキャッチフレーズに「武器はマイクと心意気」とあるのもうなずける


あの時、「あれ、テレビカメラはきていないの」と言われたAさんは、その後、そのラジオ局の重役になっている
おそらくあの言葉に発奮したであろうAさんにもまた、同じ心意気があったに違いない