今朝の毎日新聞コラムは兵庫県のホームレス殺人を扱っている
一読して魂が震える思いがした

昔の人々は「世間からはみ出した人に聖なるものを感じ取った
貧しい放浪の旅人が神や仏の化身であったという説話」は、心から心への伝承としてあったはずだと思う


しかし、今回の高校生らはそうした「見えないものへのおそれ」をまったく持っていない


コラム子は、現代の人間に「聖なるもの」を見る能力が消えかかっていることを的確に指摘している


私は、このコラムを襟を正して何度も読み直した
久しぶりに、心動かされる文章にめぐり合った


※前回の柳田國男の話で指摘した吉増剛造が石の祠を開けて蝋石の球を取り出したことについて、私は吉増が「見えないものへのおそれ」を失っていないことを信じたい

彼は、人間の持つ感性を最も大切にすべき詩人なのだから…


●(以下引用)………………………………………………………………

毎日新聞「余録」
 貧しい者、虐げられた者ほど神様に愛され、天国に近いという宗教的ビジョンが人々の心を打つのは、何も弱い立場の人々への同情や慰めのせいだけではあるまい。誰の心にもこの世の富貴や権力では左右できない魂の救いへの渇望とおそれはひそんでいる▲富と力によって支配される俗世から隠遁(いんとん)する人、世間のしがらみを逃れて放浪する人、昔の人々がそのように世間からはみ出した人に聖なるものを感じ取ったのも似たような心の働きだろう。だから貧しい放浪の旅人が神や仏の化身であったという説話が生まれるのは、洋の東西を問わない▲ではそんな目に見えないものへのおそれはどこへいったのだろう。兵庫県で足の不自由な男性が野宿をしているところに火炎瓶を投げつけられて焼死した事件で、高校生ら少年4人が逮捕された。繰り返される少年による路上生活者らへの襲撃だが、胸のふさがるようなむごさである▲4人は以前から路上生活する人々に「お前、臭い」などとののしりの言葉を浴びせたり、花火を発射するなどのいやがらせをしていた。「むかつくので火炎瓶を投げた」というのが少年らの供述という。悲しいが、人の苦しみに思いをめぐらす心の回路はまったく閉ざされていた▲弱い立場の人々にしつようないじめ、いやがらせを加え、あまつさえ生きた人を焼き殺すような残忍さ、悪意は、どうして少年たちの心に巣くったのか。そのいきさつは、この少年たち個別の問題としてきちんと解き明かしていかねばならない▲昔の人々に放浪の旅人を聖者や神の化身と感じさせたのは、人々の内にひそむ聖なるものの力というべきだろう。富や力が左右する世界しか見えない心の貧血は、少年たちだけの問題ではなさそうである。(毎日新聞 2006年3月18日 0時11分)