柳田國男 14日夜放送の第2回をビデオで録って見た

●今回は柳田國男の第二の故郷である茨城の府川
柳田は12歳の時から3年間、開業医の長兄を頼ってここで過ごした


柳田は身体が弱かったため、長兄が寄宿する小川家の土蔵で読書に明け暮れたという

このころ、柳田が「故郷七十年」に書いている有名な神秘体験をする


土蔵の隣にある小さな石の祠を空け、小川家の亡くなったおばあさんが生前大事にしていた蝋石の珠を「そうっと覗いた」

すると何ともいえない妙な気持ちになり、空を見上げると昼間にもかかわらず、数十の星が見えた

その時、突然高い空でヒヨドリがピーッと鳴き、柳田は我に返った、というものだ


小林秀雄は柳田にこうした感受性があったからこそ柳田は民俗学の大家になったと高く評価した


吉増剛造もヒヨドリが鳴いたことについて、これは「別世界からの何か暗示」であり、「野鳥雑記」や「遠野物語」の例を挙げて、柳田の世界に動物が出てきたときは要注意と語っている
(吉増も触れている、小林がこのことを語った講演「信じることと考えること」のテープについては、あらためて)


●府川は利根川沿いにあり、柳田は「故郷七十年」の「大利根の白帆」という文章で、何百という船の白帆が通るのを見て「本当に新しい発見であった」と感動したことを書いている


吉増も柳田の眼の届くところに利根川の白帆があったことが柳田にとって大変よかったという趣旨のことを語っている


こうした身体の延長で起こる大事な事がその人にとって重い意味があり、柳田にしてもまた折口信夫や南方熊楠にしてもそれぞれがこうした「自分の庭」を持っていたという


柳田にとってこの「大利根の白帆」の驚きが、海上交通や風の研究、さらに漂流物などに対する関心を深め、やがて晩年の大作「海上の道」につながっていったと指摘、あらためて柳田の感受性の豊かさ、未知の世界への志向に驚く


※柳田國男の写真は下記サイトより引用

http://www.kanko.chuo.chiba.jp/kanko/Shousai.do?sid=3947&k=2&t=2


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●ところで吉増は、今は記念公苑となっている小川家を訪ねているが、石の祠でその扉を開け、何とあの蝋石の珠を取り出し、手に取って見ているのだ


蝋石の珠はこの祠に祀られたものであり、いわば御神体である
「許可を得て撮影しています」というテロップが流れたが、いくらなんでもこれはやりすぎであろう


柳田でさえ、「故郷七十年」の中で、自分が「いたづらだった」子供の頃のことであると断り、「人に見つかれば叱られるので、誰もいない時恐る恐るあけて」から「そうっと覗いた」と書き、手に触れてさえいない


吉増は珠を手にしながら空を見上げ、「柳田さんはこの空に星を見たのですね」などと語っていたが、なにか即物的で神秘性のかけらも感じなかった

柳田には見えた空の星も、吉増には見えなかっただろう


おそらく柳田は自分はそこまでしなかったぞと怒るだろうし、小林秀雄もあきれ返るに違いない

吉増の詩的感性は尊敬するし、このシリーズも見ていきたいが、いささか幻滅してしまった


残念である